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風媒 - 見た目とは裏腹のその軽やかさと優雅さで見るものを驚かせる浮遊作品群
ダラスモーニングニュース2009年2月14日記事翻訳特別寄稿家:チャールス・ディー・ミッチェル マイティーファインアーツギャラリーのドアを開ける度に、そのすこしの風で天井から吊り下げられた原田佳奈の作品群が微妙に揺れる。それらはまるで照明器具店のサンプルのように空間を埋めているが、その揺れる姿ですぐにそれが思い込んでいたような黒い金属製ではない事がわかる。原田はクラフト(手芸/工作/文具)店で売っている薄いフォームシートを使い、鋏だけで優美で精巧な構造を作り出す。 原田の以前の作品群には、シャンデリアや装飾的な鉄製品等への特定な関連性が見られた。これは今でも多少見られるが、現在は自然からのイメージや、より遊び心があり、示唆に富む自由な形に興味があるのである。"FOREST/森" や "IN THE MIST/霞"、"HOME/里" 等の題名は、見る者がその抽象的な形や構造から感じ取るものを具体化していると言えよう。 一見、まるで型を使って切り抜かれたような対象さが見られるフォームシートであるが、鋏のみで切ったと言う一枚一枚をよく見てみると、それぞれにユニークなバリエーションがある事がわかる。 これらの微妙な違いや変化がひとつひとつの作品にそれぞれの”リズム”を与えており、それは静かな落ち着いた拍子から、活気みなぎるジャズ風な(と表現するのが最適だと思われる)リズムにまでその範囲は及ぶ。"BONSAI: DRAGON SUMMER/盆栽:龍の夏”(上の写真)という作品は、球形の”頭”があり、その周りを混雑した太陽系のように小さな点が花づな状に漂い、その長い尾はまるで雲の中を通り抜けているようである。 芸術作品を”詩的”と表現するのは多くの場合聞こえが不格好になるが、原田は技術的にも完成され、かつ知性的にも興味をそそる視覚的な詩的をやってのけているのである。 注)チャールズ・ディー・ミッチェルはダラスのフリーランスライター。 Images from the show "Kodama - Spirit of the trees"
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From the brochure
Group Show at CADD - "Drawing In" 2009 Feb Kana Harada’s work is best described as poetic, it has the ability to charm and fascinate with intricate invention. Somehow she has managed to “draw” in 3 dimensions. Her floating hand cut foam pieces describe lines and shapes in space, invoking Japanese watercolors or architecture or forests at the base of Mount Fuji. Harada has liberated her lines from the restraints of the flat surface in order to emerge into the realm of life. This is work boldly dedicated to beauty and serenity. "詩的”というのが原田佳奈の作品を表現するには一番的確な言葉であろう。その入り組んだ新しい創造性は、観る者を魅了し、引きつける。空間に”描く”事を実に上手くやってのけている、と言えよう。すべて鋏を使って作られるこの宙に浮く作品は、線や形を描きながら日本の水彩画や建築、富士の裾野に広がる森林を連想させる。原田はすべてを天の命の領域にまで高め上げるべく、線を平面の束縛から解き放つ。これは徹底して美と晴朗さに捧げられた作品である。 |
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In an equally obsessive manner, Japanese-born, Dallas-based artist Kana Harada uses foam sheets to create complex structures reminiscent of birdcages that are open and empty, lanterns without shade or light, and Aeolian bells that are silent. Suspended from the ceiling, the fragile and weightless works move gently in the flow of air. Harada’s compelling work shares with Michiko Kon’s photographs and Hiroyuki Doi’s drawings an intricate quality. From her artist statement, Harada’s motivation is the expression of “joy and gratitude towards life”, as well as freedom. However, by limiting her colors to only black and white, her sculpture is also related to spirituality and death, but it seems to suggest that death is not an end but rather a transition, a fresh start. Like Doi’s drawings, Harada’s sculptures bring to mind the Buddhist notion of samsara, or transmigration, the universal law that transcends the chaos of daily life. In the exhibition space, I imagine, looking through Harada’s intricate linear structure, through the empty frames that recur in her work, all the colors and patterns in other artist’s photographs and paintings will start to read clearly as illusions of our ephemeral earthly world.
(words by Xiaoze Xie) |
ビトウィーン リアリティ アンド イリュージョン
シャウザ・シュウ 展示会カタログ ページ 9 翻訳 日本の生まれの、ダラスに拠点を置くアーティスト、カナ・ハラダは、ドイと等しく非常に執拗な手法で、開放されていると同時に空である鳥かご、光と影のないランプ、そして静寂な風の神の鐘を思い起こさせるような複雑な構造物をフォームシートという素材を使って創り出すのである。天井から下がっているこの繊細で重量のない作品は、空気の流れで穏やかに動く。ハラダ作品の人を動かさずにはおかない魅力は、コンの写真とドイの作品とその複雑な質を共有している。 ハラダのアーティスト声明によると、彼女の制作の動機は、「自由と生きることの喜びと感謝」の表現である。が、作品の色を白黒に制限することによって、彼女の彫刻も精神性と死に関連があり、しかもそれは死が終わりでなくむしろ移行(新鮮な始まり)であることを示唆しているように思う。ドイの作品の様に、ハラダの彫刻は日常生活の混沌を越えさせる自然界の法則- 仏教でいう諸行無常、色即是空や輪廻転生を思い起こさせるのである。想像するに、実際の展示スペースでハラダの複雑な線形構造と作品の中に繰り返される枠を通してサトウやリウ・レンの写真、リウ・ディングの作品を見ると、それらが明らかにはかない現実の世界の幻想としてくっきりと浮かび上がるのである。 |
Harada's gently floating constructions are simultaneously ornate and simple. They were my third favorite towers at AIM, but placed opposite the room's wall of windows, they were robbed of many of the shadows they really needed. Although they still twirled and swung with passers-bys and wafts of AC.
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The dainty white on white, foam-sheet merry-go-round merriment of Kana Harada's Morning Light would not be complete without their mirrored splashes of shadow dancing all around; ...
I'm liking this less, here, far from the white walls and multiple spotlights and their echoing intricate shadows dancing in the slight wind of people passing and errant AC drafts. But there, floating in imperceptible wafts, This Morning Light was almost alive, decorative paddles steering its long escape pod stairway far down into the real world below. |
フォートワース新聞 スターテレグラム 2006年11月19日版
鮮やかな色の可能性を探る白と黒の展覧会
スターテレグラム社 タイタス・オブライエン
芸術、その中心にあるものは本質そのもの、骨の髄まで余分なものを削り取った最も鮮明な表現、であると言えるだろう。アーティストたちは、螺旋を描きながらミステリアスなその無の中心に向かい、そしてまた形成の世界が要求する物質とプロセスにともないながら戻ってくる、そんな永久のダンスを踊り続けているのである。作品の中の物語は解き放たれ、巻き戻され、編集され、消去され、そして再び語られていく。そして、意義と感覚が層をなすように蓄積されていく。良い芸術とは、このような自然の、かつ、しばしば混沌としたプロセスから、深く響き渡ってくるのである。
スケッチは、アーティストの表現方法の中心的手法です。火から引きずり出される黒い炭の棒からできた4B鉛筆で、スケッチブックに今の心情を記録していくとき、白いページの黒い印は、それがすべて普通始まるところであり、また戻ってくるところでもある。
展示会「黒 白(とグレー)」のディレクターのベニート・ウエルタ氏は、キュレーターとしていろいろなメディアのアート作品を取り扱いながら、共通する本質的なものから決してばらばらにはなっていない様々な美しい作品のより抜きを集めた。これは、伝統的な中国の画家と書家何世紀もの昔から続けてきたように、単純な白黒が感情的な様々な色を無限に表すことができるということの現れである。
アレックス・ルビオ氏は、滑稽で社会的なものに取り組んでいる。ビンセント・バルディーズ氏の細心の注意で観察された小さい肖像頭は、敏感にラテンアメリカ系の非常に異なる側面を探検している。
写真作品は、ケント・ラッシュ氏の月のイメージを思い出させるような石の写真などで代表されるように、慌ただしさの喚起を描写している写真作品がみられる。そしてスーザン・カエ・グラント氏は、恐怖映画のシャイニングを呼び起こすようなシュールなシルエットを表現している。
同心円の世界を彼女の無限のバリエーションで描く、エレイン・テーラー氏は、近代主義者の思想を展開しています。ある人間の等しく、形式主義的な、揺るがぬ彫刻的なレリーフは、彼らの存在的に鉛の暗闇で殆ど憂鬱な世界で不可解な精神的思想を思い起こさせる。
そして、原田佳奈作品は、上品にその空間を改めて定義づけるように、天井から吊るされており、この展示会を殆どまさに独り占めしている。彼女の作品は、幽玄的でありまた魔術的であり、それらが逆に、彼女の作品の持つ非常に洗練された感受性と彫刻性や、緻密に据え付けされた完璧な芸術性との裏腹さをも醸し出している。
この展覧会のテーマのある種の単純さのためかもしれないが、全体の精神的なトーンは、深刻で静観的、黙想的なものである。展覧会に訪れた者を生命の起源、精神世界、生死観と宇宙について考えさせる。今年、フォートワース市近郊で開催された美術展覧会の中でもより良い展覧会のうちのひとつだと言えよう。
注)タイタス・オブライエンはダラス在住の記者でありアーティストでもあります。
鮮やかな色の可能性を探る白と黒の展覧会
スターテレグラム社 タイタス・オブライエン
芸術、その中心にあるものは本質そのもの、骨の髄まで余分なものを削り取った最も鮮明な表現、であると言えるだろう。アーティストたちは、螺旋を描きながらミステリアスなその無の中心に向かい、そしてまた形成の世界が要求する物質とプロセスにともないながら戻ってくる、そんな永久のダンスを踊り続けているのである。作品の中の物語は解き放たれ、巻き戻され、編集され、消去され、そして再び語られていく。そして、意義と感覚が層をなすように蓄積されていく。良い芸術とは、このような自然の、かつ、しばしば混沌としたプロセスから、深く響き渡ってくるのである。
スケッチは、アーティストの表現方法の中心的手法です。火から引きずり出される黒い炭の棒からできた4B鉛筆で、スケッチブックに今の心情を記録していくとき、白いページの黒い印は、それがすべて普通始まるところであり、また戻ってくるところでもある。
展示会「黒 白(とグレー)」のディレクターのベニート・ウエルタ氏は、キュレーターとしていろいろなメディアのアート作品を取り扱いながら、共通する本質的なものから決してばらばらにはなっていない様々な美しい作品のより抜きを集めた。これは、伝統的な中国の画家と書家何世紀もの昔から続けてきたように、単純な白黒が感情的な様々な色を無限に表すことができるということの現れである。
アレックス・ルビオ氏は、滑稽で社会的なものに取り組んでいる。ビンセント・バルディーズ氏の細心の注意で観察された小さい肖像頭は、敏感にラテンアメリカ系の非常に異なる側面を探検している。
写真作品は、ケント・ラッシュ氏の月のイメージを思い出させるような石の写真などで代表されるように、慌ただしさの喚起を描写している写真作品がみられる。そしてスーザン・カエ・グラント氏は、恐怖映画のシャイニングを呼び起こすようなシュールなシルエットを表現している。
同心円の世界を彼女の無限のバリエーションで描く、エレイン・テーラー氏は、近代主義者の思想を展開しています。ある人間の等しく、形式主義的な、揺るがぬ彫刻的なレリーフは、彼らの存在的に鉛の暗闇で殆ど憂鬱な世界で不可解な精神的思想を思い起こさせる。
そして、原田佳奈作品は、上品にその空間を改めて定義づけるように、天井から吊るされており、この展示会を殆どまさに独り占めしている。彼女の作品は、幽玄的でありまた魔術的であり、それらが逆に、彼女の作品の持つ非常に洗練された感受性と彫刻性や、緻密に据え付けされた完璧な芸術性との裏腹さをも醸し出している。
この展覧会のテーマのある種の単純さのためかもしれないが、全体の精神的なトーンは、深刻で静観的、黙想的なものである。展覧会に訪れた者を生命の起源、精神世界、生死観と宇宙について考えさせる。今年、フォートワース市近郊で開催された美術展覧会の中でもより良い展覧会のうちのひとつだと言えよう。
注)タイタス・オブライエンはダラス在住の記者でありアーティストでもあります。