空気がキリリとした幻想的な春の早朝、タートルクリーク(注1:美しい小川流れるダラス市内高級住宅地)にいつも漂う霧は、広大なこの街の中で最も「禅」に近いものと言えよう。霧 − 空中に浮遊する小さな水滴が、間もなく半透明の雲に変わる − それは、日本生まれでダラスを拠点とするアーティスト、原田佳奈の作品のようである。
特に「コットンキャンディーツリー(綿飴の木)」、「デュエット」、「トリオ」などの作品は、装飾芸術的な素晴らしさがある。それは空中を軽やかに滑る高度なまでに洗練された様式のシャンデリアのようであり − まさに水面の上にかかる静かに美しい霧である。個人的に目の前に体験するこうした原田の創り出すモビール(注2:吊るされた動く彫刻)は、強烈なインパクトと納得感を同時に与えてくれる。真っ白な画廊の壁に映し出されるこれら作品の影は、見る者を永遠にその場に立ち尽くさせるのだ。
原田のアトリエ兼住まいは、ダラスのダウンタウンのメインストリートにある趣のあるロフトだ。そこは Neiman Marcus(注3:ダラス本社の高級老舗デパート)とForty Five Ten(注4:ダラス本店のデザイナー・アートブティック)、そして Traffic LA(注5:老舗LAスタイルファッションのダラス店)が作り出すまさにファッションのバミューダトライアングルのド真ん中に位置する。これは「大都会の喧騒と急速な躍動感をエネルギー源とする創造豊かな芸術家」などという勝手な想像力を駆り立てる。が、原田の作品は都会の喧騒など何処へやら。ここはホッと一息つける止まり木、まったくの別世界、そんな要素が実に空想的、幻想的に表現されている世界なのである。
原田は、自分自身を”アートの修行僧、とでも言うんだろうか♪”と笑いながら説明する。そしてそのなんとも静かな”禅”的空気が溢れ漂う、どこか修道院的な仕事場兼住まいを、20数年来の夫、竹村誠氏と共有している。「彼は、ダウンタウンで暮らす事は100%私の決断だった、って♪」と彼女は言う。 「毎朝、私の”通勤”は寝室からアトリエへの数歩。だけど彼はテキサスインスツルメンツのオフィスまでの渋滞を毎日勇猛果敢に戦ってくれてるわけ!」と言う。この二人にとって、時間と歴史が醸し出す魅力を十分に味わうことのできるこの歴史的建造物に住むことは、環境として非常に重要な事であったと言う。原田はこのビルの過去の入居者達に想いを馳せながら、古い、良く言えば”歴史的な”建物に住むことには付き物の、不具合や癖や欠点までも楽しんでいるのだ。「床は所々歪んでいるし、9つある窓も、4つはうまく開かないはず。冬は寒く、夏は暑いけれど、それでも私はここが大好きなんですよね」と言う。
やはり原田の作品と、この空間を切り離すことは不可能だ。彼女の仕事場は、過度なまでに整理整頓されている。これは多くの芸術家を取り巻く雑然とした景色とは全く違い、むしろ精密機械のある実験室のようである。原田は様々な素材を使って制作をしているが、立体作品のほとんどは、あらゆる種類の紙、又はウレタンのようなフォームシートを使用している。彼女の”白シリーズ”は、マシュマロのような感触のフォームシートが非常に優美な軽やかさを生み出している。”黒シリーズ”は、一見硬い鉄製のような外観とは対照的に、モビールのしなやかさと素材の柔らかさが非常に興味深い。
原田は毎朝大体午前5時30分ごろに目を覚まし、紅茶を入れ、軽い朝食をとり、ヨガやストレッチをする。彼女のマントラは「世界人類が平和でありますように」であり、いつもまず感謝の気持ちで仕事を始める。「私は毎日、自分のスピリチュアルガイド、母なる大自然、先祖全員、そして私に命を授け、いつも新たな一日を恵み、目覚めさせてくれるあの世にいる両親を始め、すべての存在に感謝を捧げています。」
午前8時迄には制作が始まっている。いくつもある大きな窓からは十分な自然光が入ってくるが、季節によって早朝は、卓上スタンドの柔らかな光の下で鋏を動かし始める。原田は昼食は取らない(この夫婦は1日に2食しか食べない)が、時折、スプーン一杯のオーガニックピーナツバターと蜂蜜を楽しむそうだ。
午後5時過ぎ、原田は気分転換に散歩に出かける。それまでは、外界に気を散らされることを避け、アトリエでの制作時間の流れを大切にしている。散歩中、決してヘッドフォンは付けず、周りの世界のありのままの音を吸収するようにしている。世界の平和へのマントラを心の中で唱えながら歩くのは、「地球・コンクリート・木々・空気・水・人々・犬・太陽・月・雲・大空・そして時々Commissary(注6:近所のベーカリー)のおいしいパンなどへの私なりの感謝行♪」だと彼女は言う。原田は近所のホームレスの人達にほんの一瞬の瞑想を捧げる人としても知られている。何年も前に、彼女は困っている人々に話しかけられるたびに、本能的にそして反射的にお辞儀 - 相手を敬う日本人の習慣 ― を、彼らの窮状を祈る/命そのものを拝む、と言い気持ちで思わずしたのが、今や彼女に出会ったことのある人々は、お返しに彼女にお辞儀をするようになっているのだ。
原田は東京生まれである。小中学生だった1970年代に家族と共に短期間アメリカはニューヨークに移住。「いじめを経験したことは一度もない」と彼女は言う。「私はクラスメートの多くにとって初めて出会った日本人の女の子だったので、きっと面白かったんだと思う。私にいろいろ教えてくれようとしたのがとてもありがたく、楽しかったですね。」 既にこの時点で、彼女は芸術家になることを決めていたのである。一歳の時に絵を描き始め、4歳の時に自分が絵を描くために生まれて来た、ということを母親に話したそうである。
その後原田は日本に戻り、グラフィックデザイン・日本画・デッサンを東京のお茶の水美術学院で学ぶ。彼女が花や自然を好み、いつもモチーフに使うのは、おそらく富士山の緑豊かな麓へよく出かけるからだろう。原田の立体作品は、”天の庭園”と表現することができると思う。精巧な白い構造は、空間に優雅に踊り続け、時に繊細な花や鮮やかなパステルカラーの模様が描かれているのだ。
以前、原田が”日本人の芸術家”として認知されたいかどうかを尋ねられた時、彼女の答えは「いいえ、特には」だった。「私は日本人女性であることをとても誇りに思っていますが、作品にいわゆる”日本/和”を意図的に組み込もうとしたことは一度もありません。が、私には非常に”昭和”な面があり、それは母のお陰だと思っています。自分が日本人であること、内なるこの”和”は、私の中にあまりに深く染み込み過ぎていて、自分ではよくわからない。ごくごく自然なものなのだと感じています。」
原田佳奈はテキサス州ダラス市のTalley Dunn Galleryに代表され、2020年3月21日から6月7日迄(オープニングレセプション3月27日(金)6:30pm ~ 8:30pm):テキサス州ボーゥマント市のテキサス州南東部美術館/Art Museum of Southeast Texasで個展を開催。
Talley Dunn Gallery
http://www.talleydunn.com/
Art Museum of Southeast Texas
https://www.amset.org/
特に「コットンキャンディーツリー(綿飴の木)」、「デュエット」、「トリオ」などの作品は、装飾芸術的な素晴らしさがある。それは空中を軽やかに滑る高度なまでに洗練された様式のシャンデリアのようであり − まさに水面の上にかかる静かに美しい霧である。個人的に目の前に体験するこうした原田の創り出すモビール(注2:吊るされた動く彫刻)は、強烈なインパクトと納得感を同時に与えてくれる。真っ白な画廊の壁に映し出されるこれら作品の影は、見る者を永遠にその場に立ち尽くさせるのだ。
原田のアトリエ兼住まいは、ダラスのダウンタウンのメインストリートにある趣のあるロフトだ。そこは Neiman Marcus(注3:ダラス本社の高級老舗デパート)とForty Five Ten(注4:ダラス本店のデザイナー・アートブティック)、そして Traffic LA(注5:老舗LAスタイルファッションのダラス店)が作り出すまさにファッションのバミューダトライアングルのド真ん中に位置する。これは「大都会の喧騒と急速な躍動感をエネルギー源とする創造豊かな芸術家」などという勝手な想像力を駆り立てる。が、原田の作品は都会の喧騒など何処へやら。ここはホッと一息つける止まり木、まったくの別世界、そんな要素が実に空想的、幻想的に表現されている世界なのである。
原田は、自分自身を”アートの修行僧、とでも言うんだろうか♪”と笑いながら説明する。そしてそのなんとも静かな”禅”的空気が溢れ漂う、どこか修道院的な仕事場兼住まいを、20数年来の夫、竹村誠氏と共有している。「彼は、ダウンタウンで暮らす事は100%私の決断だった、って♪」と彼女は言う。 「毎朝、私の”通勤”は寝室からアトリエへの数歩。だけど彼はテキサスインスツルメンツのオフィスまでの渋滞を毎日勇猛果敢に戦ってくれてるわけ!」と言う。この二人にとって、時間と歴史が醸し出す魅力を十分に味わうことのできるこの歴史的建造物に住むことは、環境として非常に重要な事であったと言う。原田はこのビルの過去の入居者達に想いを馳せながら、古い、良く言えば”歴史的な”建物に住むことには付き物の、不具合や癖や欠点までも楽しんでいるのだ。「床は所々歪んでいるし、9つある窓も、4つはうまく開かないはず。冬は寒く、夏は暑いけれど、それでも私はここが大好きなんですよね」と言う。
やはり原田の作品と、この空間を切り離すことは不可能だ。彼女の仕事場は、過度なまでに整理整頓されている。これは多くの芸術家を取り巻く雑然とした景色とは全く違い、むしろ精密機械のある実験室のようである。原田は様々な素材を使って制作をしているが、立体作品のほとんどは、あらゆる種類の紙、又はウレタンのようなフォームシートを使用している。彼女の”白シリーズ”は、マシュマロのような感触のフォームシートが非常に優美な軽やかさを生み出している。”黒シリーズ”は、一見硬い鉄製のような外観とは対照的に、モビールのしなやかさと素材の柔らかさが非常に興味深い。
原田は毎朝大体午前5時30分ごろに目を覚まし、紅茶を入れ、軽い朝食をとり、ヨガやストレッチをする。彼女のマントラは「世界人類が平和でありますように」であり、いつもまず感謝の気持ちで仕事を始める。「私は毎日、自分のスピリチュアルガイド、母なる大自然、先祖全員、そして私に命を授け、いつも新たな一日を恵み、目覚めさせてくれるあの世にいる両親を始め、すべての存在に感謝を捧げています。」
午前8時迄には制作が始まっている。いくつもある大きな窓からは十分な自然光が入ってくるが、季節によって早朝は、卓上スタンドの柔らかな光の下で鋏を動かし始める。原田は昼食は取らない(この夫婦は1日に2食しか食べない)が、時折、スプーン一杯のオーガニックピーナツバターと蜂蜜を楽しむそうだ。
午後5時過ぎ、原田は気分転換に散歩に出かける。それまでは、外界に気を散らされることを避け、アトリエでの制作時間の流れを大切にしている。散歩中、決してヘッドフォンは付けず、周りの世界のありのままの音を吸収するようにしている。世界の平和へのマントラを心の中で唱えながら歩くのは、「地球・コンクリート・木々・空気・水・人々・犬・太陽・月・雲・大空・そして時々Commissary(注6:近所のベーカリー)のおいしいパンなどへの私なりの感謝行♪」だと彼女は言う。原田は近所のホームレスの人達にほんの一瞬の瞑想を捧げる人としても知られている。何年も前に、彼女は困っている人々に話しかけられるたびに、本能的にそして反射的にお辞儀 - 相手を敬う日本人の習慣 ― を、彼らの窮状を祈る/命そのものを拝む、と言い気持ちで思わずしたのが、今や彼女に出会ったことのある人々は、お返しに彼女にお辞儀をするようになっているのだ。
原田は東京生まれである。小中学生だった1970年代に家族と共に短期間アメリカはニューヨークに移住。「いじめを経験したことは一度もない」と彼女は言う。「私はクラスメートの多くにとって初めて出会った日本人の女の子だったので、きっと面白かったんだと思う。私にいろいろ教えてくれようとしたのがとてもありがたく、楽しかったですね。」 既にこの時点で、彼女は芸術家になることを決めていたのである。一歳の時に絵を描き始め、4歳の時に自分が絵を描くために生まれて来た、ということを母親に話したそうである。
その後原田は日本に戻り、グラフィックデザイン・日本画・デッサンを東京のお茶の水美術学院で学ぶ。彼女が花や自然を好み、いつもモチーフに使うのは、おそらく富士山の緑豊かな麓へよく出かけるからだろう。原田の立体作品は、”天の庭園”と表現することができると思う。精巧な白い構造は、空間に優雅に踊り続け、時に繊細な花や鮮やかなパステルカラーの模様が描かれているのだ。
以前、原田が”日本人の芸術家”として認知されたいかどうかを尋ねられた時、彼女の答えは「いいえ、特には」だった。「私は日本人女性であることをとても誇りに思っていますが、作品にいわゆる”日本/和”を意図的に組み込もうとしたことは一度もありません。が、私には非常に”昭和”な面があり、それは母のお陰だと思っています。自分が日本人であること、内なるこの”和”は、私の中にあまりに深く染み込み過ぎていて、自分ではよくわからない。ごくごく自然なものなのだと感じています。」
原田佳奈はテキサス州ダラス市のTalley Dunn Galleryに代表され、2020年3月21日から6月7日迄(オープニングレセプション3月27日(金)6:30pm ~ 8:30pm):テキサス州ボーゥマント市のテキサス州南東部美術館/Art Museum of Southeast Texasで個展を開催。
Talley Dunn Gallery
http://www.talleydunn.com/
Art Museum of Southeast Texas
https://www.amset.org/